ハコブロ

箱には無秩序に日常が投げ込まれているよブログ

時刊 わたしのサンタさん

Introduction

「メリー、クリスマース!」
 目の前に知らない女が立っていた。
 女はやたらと良い笑顔でクラッカーを俺に向けていた。というか、もうすでにクラッカーは開いていた。目の前でぷらぷらしているのがそれの残骸であり、耳がきーんとしているのがその影響だということにここにいたってようやく気がつく。
 この女は一体誰なんだ。覚醒していない灰色の脳みそをフル稼働させてみるが、やはり眼前にいるのは知らない女だった。なぜならこの女は鮮やかな金髪だった。この時点で俺の友人にいるはずが無い。女というだけでも狭められるのに、金髪ときたらもうどうしようもない。肌の色だってどうひいき目に見てもアジア系ではない気がする。純然たる金髪白人。そう表現するしかない女がコタツの上に立って俺を見下ろしていた。黒い、すべすべしていそうなタイツが目の前にある。
「おはようございますそしておめでとうございます。今日という日に巻き起きる奇跡の中心はあなたです!」
 女は『本日の主役』と書かれたたすきを俺にかけようとして腰をかがめた。俺はさっきまでコタツに入ってうたた寝をしており、今現在もコタツから一歩も出ていない。さらに上着としてどてらを着ているものだから、女はたすきを首にかけるまでは良いものの、そこから先に苦戦してうんうん唸っていた。
 俺としても腕くらいあげて手伝ってやるのもやぶさかではなかったのだが、残念なことに目の前にあるものから目が離せなくなっていた。言わないでも分かってもらえるだろうから何も言わない。まあ、ミニスカートなのにかがむのだから、そりゃあそういうものが目の前にあるのは当然としかいえない。悪戦苦闘して動くたびにもぞもぞと揺れ動くそこを見ていたって仕方が無い、元肉食動物の悲しい性と言えるんじゃないだろうか。
「うーん、まあ、いいや」
 適当なことを言って女は立ち上がった。気になったので自分の身体を見てみたら、結局たすきは腕に通されず首にかけられただけだった。これじゃあ大きすぎる首輪だ。まったくもって冗談ではない。俺は首が絞まる系のものは嫌いなんだ。タートルネックだって着ないし、ネクタイだって出来ればつけたくない。マフラーもやわらかいものをゆるく巻いてるくらいだというのに。
「さあ、いつまでも寝ぼけてないで! 行きましょう!」
 女が手を差し出した。意外と小さい手だ。というか、よくよく見たら女は少女と言っていいくらいに小さいということに気がついた。見上げる形だから今まで分からなかった。こんな小さい子がどうしてこんなところにいるのだろう。というか今は何時だろう。携帯はどこに行った。あ、そういえば充電してたっけまずいなそろそろ切れてるかもしれない。ああ、しかし眠いな。さっきこの女はおはようって言ってたし、やっぱり朝なんだろうか。ああ、そういえば俺、挨拶したっけ。どうだったかな、ちょっと怪しいかな。
「……おはよう」
「はい、おはようございます。というか、まだ起きてなかったんですか?」
 首を俺から見て右に少しだけ傾ける。金髪のさらさらしたショートヘアがそれに追随して静かに揺れた。
 声を出したことで意識が急速に目覚めてきた。ようやく寒さで凍りきったエンジンに火が入り、俺の中に溜め込まれた常識が春先の花壇のようにむくむくと芽を出してきた。
 一体この子は何なんだ。
 ゆっくりと周りを見回してみる。テレビ、ビール、PS2、冷蔵庫、森永牛乳プリン、みかん、携帯、アフタヌーン、空き缶、テレビガイド、どんべえ、課題、ティッシュ、パソコン。どれも確かに俺のものだ。ということはここは俺の部屋か。いや待て早合点はよくない、もしかしたら俺の部屋そっくりのやつだっているかもしれない。同じマンションなら構造だって同じはずだ。だったら俺はそんなところで何をしているんだろう。
「え、あれ、俺……」
 何してたっけ。えーっと、昨日のこと昨日のこと、確か朝飯に……あれ、なに食ったんだっけ。昨日の朝、えーっと、なんだ、ごはん……が確か無かったから、そうかパンだ。ってあれそれは一昨日か? いや一昨日は……えーっと、あれ、一昨日は何だっけ。最後に卵を食ったのいつだ?
「もう、ちゃんと起きてくださいよ」
 急に身体が前後に揺れた。震度2くらいか。NHKをつけなきゃ……って違う。いつの間にかさっきまで目の前にいた女の子が俺の後ろに回って揺さぶっていたらしい。首を後ろに倒すようにして確認してみると、上下さかさまの女の子と目が合った。やはり子供だ。中学生……いや、もしかしたら小学生か。確か姪っ子がこれくらいだったはずだ。そういえばお年玉をどうしよう。まったく忘れていた。あげられるくらいに余裕があっただろうか。
「起きてくれました?」
 そう言って女の子は微笑んだ。正直に言ってしまえば姪っ子よりもかわいいと思った。なぜなら姪は姉に似すぎている。あの子を見るたびに可愛さよりも幼い頃のトラウマばかりが押し寄せる。そんなことを考えていたら、プロレスごっこと称して技をかけられ肩を脱臼したことを思い出した。思わず身体が震える。そういえば、コタツに入ってどてらを着ているのにえらく寒い。その寒さでだんだんと思考が定まっていく気がした。そうだ、なにが姪っ子だ馬鹿か俺は。そうじゃない。そんなことよりも言うべきことがある。
「君は誰?」
 俺はようやく本質にたどり着いた。今までどうも回り道ばかりしていた気がする。しかし幼い頃に急がば回れと教わったし、一概にそれを間違いだというのはいけないのかもしれない。ってまた横道だ。何を混乱しているんだ俺は。たかが知らない女の子が目の前にいるくらいで。
 俺の言葉に彼女は笑ったように見えた。唇が描く円弧が深くなったように見えたのだ。乾きなんて知りませんわと言い出しそうにつやつやした唇が開かれて、真っ白に光り輝く歯が顔を出した。唇の端ギリギリのところが一本空いていたのは、おそらく生え変わりだろう。果たしてそれが最後の乳歯なのか、気になるところではあった。
「私はクリスマスです」
 クリスマス。くりすます。栗栖升。久利須磨子。おお、なんか名前っぽい。でも最近の子で須磨子とはどうだろう。やはり変だ。聞き間違いだろうか。未だに耳がキーンとしてるっぽいし、もしかしたらそうかもしれない。
「ごめん、なんだって?」
「ですからクリスマスです」
 ですからくりすますです。ですからってなんだ、さっきはついてなかったぞ。ということは、ですからはただの助詞だろうか。最後のですも助詞だろうし、そうなると残るのはやっぱりクリスマスしかなくなる。
 クリスマス。ああ、そういえば確かに明日はクリスマスだったな。特に予定も無いから忘れてた。あれ、明日? 今日? 今日って何日? てゆーか今何時?
「さあ、行きましょう」
 今度は差し伸べるだけじゃなく、強引に俺の手をつかんできた。冷え切った俺の手がその暖かさにびっくりする。それと同時に少しだけどきりとした。誰かと手をつないだのなんていつ以来だったか。
「わ。すごーい、冷たいですねー」
 びっくりしたのはどうやら向こうも同じだったらしい。そりゃあこれだけ暖かい手をしていたら、俺の手なんて氷みたいなものだろう。なんだか申し訳ない。やはり家の中でも手袋をしていたほうが良いのだろうか。
「でも、手が冷たい人は心が温かいってよく言いますよね。環さんもそうなんですか?」
 どうコメントしろというのか。そうだよ、なんて言ったらただのナルシストだし、ちがうよと言うのもはばかれる。黙るしかない質問じゃないだろうか。
 いや、違う。黙っちゃいけない。今、なにか気にしなきゃいけない場所があったはずだ。考えながら、俺の身体はぐいぐいと引かれてなぜかテラスの前にまで来ていた。そしてそこで、ようやく寒さの原因に気がついた。テラスへ至る窓がフルオープンになっていたのだ。こんな時期にそんなまねをしていればそりゃあ寒いだろう。なんで俺はこんな豪快に忘れていたんだと考えて、いやそんな馬鹿なと頭を振る。さすがにそんなことをするわけが無い。これは俺が開けたんじゃない。
 じゃあ、誰が。
「さあ。行きましょう、環さん」
 少女が微笑んだ。俺の目の前にいる、ブラウンのファー付コートにデニム地のスカート、黒タイツに子供用ブーツを履いた見たことも無い少女が、俺の名前を呼んだ。
「……君は、誰だ?」
「三回目ですよ。私は、クリスマスです」
 その言葉と同時に、俺と少女は夜空の住人に代わった。
 
 
<つづく>